旬
なにかが変わった気がした。確かになにかが変わったようだ。あの諂いが吹き飛んでいったを感じた。鈍い音だった。今年も青い紫陽花が咲いている。
「誰もいない道を歩いていたはずなのに、やけに人の気配がする。周りに建ち並ぶ家々の窓。朽ちた看板。剥がれた鉄版。錆と雨。瓦の屋根は少し緑がかっている。確かに誰かが居る。そう思わざるを得なかった。」
果たして本当に今日僕が手に入れたものは、暫くの間僕が生きていくための支えになってくれるだろうか。美しいものであるのには自信があるが、だからといって永久不滅はありえない。何度も言っているが、美しさには旬がある。街や人、自分自身。周りに見えるもの感じるもの。そのすべてに意味を感じ、美しく見える時と、逆に全くもってそう思えない時を繰り返すように。そしてそれは表現も同じだと思う。もちろん何十年、何百年と語り継がれ、その美しさを保つものもある。しかしそれはあくまで大衆の目線であって、個人の目線ではないと思う。
だから、表現者たちの旅は終わらない。そうやって美しさは常に腐り、また芽吹いてを繰り返すからだ。美しさを探していると、自ずとこの世の変化の速さと、その残酷さに気づく。この世のすべてはいつか終わる時がくるようにデザインされている。儚く散っていくものにこそ人は心を動かされる。それは己の内にある「無常の摂理」の認識を感じているからだと僕は思う。本当は誰しもが持つそれを、もっと覚えていたい。気を抜くとすぐに忘れてしまうから。まあそれこそがまさに「無常の摂理」なのだけれど。
「変わらないための唯一の方法は、変わり続けることだ」と、何度も理解したつもりでいたけれど、相変わらず僕は、自分のすべてを投げ打って、もがきながら作ったそれなら、今後もう「一生」大丈夫だなんて考えてしまう。それは決して愛ではなく、バカな固執に過ぎないのだと。過剰な造形保護は、逆にそれの本質を腐らせ、見えなくするんだぞと、ここ数ヶ月の自分に吐き捨てたい。
なにか新しいことがしたいと思う。これから僕らはどこへ行こう?どんどんと、もっともっと遠くへ行きたいな。新鮮な体験と共に、美しさを探す旅は終わらない。自分が所有できる範囲で、この世に散らばる一瞬の旬を逃さず、丁寧に摘みたい。
「ちょっと派手なパーティでもしようや。沢山の喝采を浴びながらさ。未来なんて、幸せなもんだけ見てりゃいい。
大丈夫。失うわけじゃない。心配しなくてもまたいつかやってくるさ。失くすんじゃなくて、うまく付き合っていこうやってことさ!大丈夫。失うわけじゃない。」
「昔みたいに悪戯に
地面と睨めっこする回数は
少し減っていったけれど
今でもたまに思い出す
生きてることさえ煩わしい
あの白昼夢という悪夢を
わかってる生きてりゃ色々
考えなきゃいけないことくらい
そうやって呑み込んで来た果ては
くだらない澱みが残っただけ
出てくるのは腐った空気だけ
それから前を向いて歩くことが
どれだけ難しいかうんざりするほど
味わった 心得た
それでも僕らは今誓う
無常な世界を生き抜くことを
楽しさで消費することを
だからこそ僕らは今誓う
僕らは夢を追い続けることを
この先で待ってるあなたを
信じることを
僕らは今を生きる
僕らは今を生きる
僕らは今を生きる」
疲れることも、忘れたくないこともたくさんあるけど、少しずつ、ポジティブになれる自分を大切にしていきたいな。